骨の髄まで慯い

音楽馬鹿の節約生活

お墓参り

八月一二日
私の父が亡くなって一年になる。

 

父はいくつになっても子供みたいな人で、私が生まれてから小学校に入るまでは公園に行って一緒に遊んだり、いろんなところへ連れて行ってくれた。

逆に言うと、その頃は母は仕事をして帰りが遅くなることも多かったので、幼少期の思い出は父の存在が大きい。

しかしながら、小学校の入学式からは父が家から居なくなり代わりに母が育ててくれて、母と娘二人の生活が中学、高校、大学卒業まで続いた。

その年頃になると酷い言い方になるのかもしれないが父の存在が無くても特に不便だと思ったことはなく、存在感が抜け落ちた父の書斎に忍び込んで彼の残していった古臭い音響機器を触ってみたり、今となっては希少な紙でできた書籍のページを捲ったりして彼の存在を再確認するようなことをしていた。

 

それでも、十年に一回とか五年に一回くらい偶に帰ってきていて、久しぶりに家族でレストランへ食事に行くこともあったが、いくつに経っても変わらない人だなと、どこか他人を判別するような眼でみていた。

 

大学へ卒業と同時に母とともに日本を離れて、国外の大学へ入学して私もそれなりに健全に学生生活を楽しんだりした。

母はそれまで保守的な人だと思っていたが、近所の人と異文化交流という名のお茶会や食事会に参加したりしていたので新しい環境を楽しんで過ごしているようだった。

父はというと、その当時は私が学業や遊びで忙しかったということもあって一度も顔を合わせたことはなく母とは何度か会っていたというのを後から聞いたりしていた。

 

私が大学を卒業して、別の国の大学で博士号をとるために一人暮らしを始めてから、母は日本に戻って祖父母と一緒に暮らしていたし、私も研究と単位取得で忙しい日々を送っていたので家族の事を考える余裕もなくなっていた。

 

そんな生活を送りながら博士論文のためにラボに籠って研究に打ち込む生活が板に染み付いてきたころ、母から連絡があった。

「父が亡くなったので葬儀を行う。都合をつけて帰国してほしい」

 

その内容を聞いた時の私の感情は、なんとも言い難いもので
幼少期を除けば両手で数えるほどしか顔を合わせていない人が亡くなったと聞かされるのは、テレビで有名人の誰かが亡くなったと淡々とニュースキャスターが伝えているのを朝ごはんを食べながら流し見しているのと同じようなものだ。

決して父に対しての愛情がなかったり、憎があったというわけではない。

あまりに、他人に近い家族となってしまっていたので悲しみが湧いてこなかったのだ。

 

それでも帰国のために休暇をいただいて、航空券を取って私は久しぶりに帰国した。

 

 

 

 

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