骨の髄まで慯い

音楽馬鹿の節約生活

ミニマリストを目指したことによる弊害

一時期、グッと『ミニマリスト』『モノを持たない生活』『断捨離』

といったワードが流行った時期があった

 

その頃には私も"半"ミニマリストとして

所謂、ミニマリスト”見習い”として

ほかの方のブログや書籍や動画などを見て『ミニマリスト』という生活にあこがれを持ち、自分の生活にも彼らの生活の知恵を取り入れていっていた

 

元来の私の性質に対して

貸家の2年契約が終われば更新せずに引っ越して、その土地で仕事をしながら生活していったり移動をしながらの生活というものは

自分でも合っていると考えていた。

それゆえに、多くの家財道具を抱えての移動は効率的ではないので

引っ越しをするたびに『断捨離』を行っていき

冷蔵庫やレンジ、掃除機などの家財道具も廃棄して『モノを持たない生活』というものへシフトしていったのだ。

 

残念なことに必要最低限の賃金を得るための仕事に対しては上手く効率化を図ることはできていない。

しかしながら、それ以外には自分の生活はこういう『ミニマリスト』的な部分が合っていると感じていた。

 

それが、間違っていると気が付いたのはつい最近だ。

 

 

そもそも『ミニマリスト』という生活は

イコールで『モノを持たない生活』とは繋がりそうであるが

イコールで『豊かな生活』には繋がらないと私は考える。

 

じゃあ、モノをたくさん持っているほうが『豊かな生活』なのではないか。

ミニマリスト』なんてカッコつけて読んでいるけど、単純に『貧困者の生活』じゃないか。

というアンチ『ミニマリスト』に餌を撒いているようにも聞こえるがそうではない。

 

 

私が主張したいのは

『モノを持たない生活』によって『想像力のキャパシティーを制限』されることにより

『ナニも持っていない人間』が『ミニマリスト』になると

『すべてを持ち合わせていないタダの貧困者』にしかなれなくなる

ということだ。

 

私がミニマリストになってまず減らしたのは

「服」「家具」「娯楽道具」「装飾品」

以上の4つが主になる。

これらの4つは、自分自身のステータスをも主張するような"物体"でもあると考える

例えば、年収が高い家庭は良い車を乗っていたり、高い時計を身に着けていたり、いいブランドの洋服を身にまとっていたり。

 

「そういうステータスを象徴する"物体"を持っていなくても豊かな生活なんですよ」

という主張をしたいのが『ミニマリスト』という言葉だ。

 

では、その『ミニマリスト』たちが主張する『豊かさ』とは物体以外のものに何が当たるのか。

それは個人で異なるが、ある人は「仕事」「貯蓄」「人望」という物質以外のものにあたる。

 

では、ここで質問。

「仕事」「貯蓄」「人望」などの物質以外のものすら持っていない人間が

ミニマリスト』を目指そうとすると、一体どうなるのか。

 

答えは

『何も持っていない人間が「ミニマリスト」という言葉で自分自身を肯定している人間』が生まれる

 

それが私なのだと最近気が付いた。

 

 

物質というのは「クリエイティビティ」であり

それを行使する方も半強制的に「クリエイティブ」にならざる負えない。

それにより新しい何かを生み出すのだ

その機会を『ミニマリスト』になることによって減らしていく行為は自殺行為に近いだろう

「ゲーム」「本」「装飾品」などそれらのものは

『自分一人で生きていくのであれば全く必要のないモノ』であるが

人生を豊かにして、自分自身のアップデートを行ってくれる刺激となるのだ

 

 

もしも、『生きやすさ』だけに魅力を感じて『ミニマリスト』を目指している若い人がいるならば教えてあげたい。

あなたが見ている『ミニマリスト』さんは、隠れた努力をして得た『豊かさ=結果』によって生活がかっこよく見えているのであって

そこにあなたが到達するには『結果』を先に得ないといけない。

物質に換金するか、それ以外に換金するかを考えるのは

努力をしてからでも問題ないよ